【note下書き】映画歴①
さて、せっかく利用開始したnoteですが何を書こうか迷っています。書きたいことはたくさんあるんだけど。
それと、いま続けているこのブログと、自分の中でどう差別化すればいいか、の問題も。
もともと当ブログは日常雑記的に、軽く書き飛ばそうってコンセプトで始めました。
なので、新しく始めたnoteのほうは、もう少し内容の濃い文章を書いてみようかなと。べつにnoteのほうが格上というわけではありませんが、自分の中でそう使い分けようと。
で、ちょっとnoteの下書き的にこのブログを使ってみます。読んでみて興味を引かれた方はぜひ「シオ・コージ」のnoteへ……
今回は僕の映画鑑賞歴のルーツについてつらつら書いてみましょう。
まあ、映画体験のいちばんルーツといえば、やはり子どものころにみたゴジラ映画でしょう。
僕が観てた時期はちょうどゴジラシリーズが「怪獣どうしのプロレスに過ぎない」と、のちのち揶揄されたころのもので、ゴジラがガイガンだとかメカゴジラとか悪役と対戦、モスラやアンギラスが参戦、最後にラスボス、キングギドラと決戦を繰り広げる、みたいなお決まりのパターンを大喜びで観てました。
少し成長して小学校高学年ぐらいからテレビの洋画劇場を見るようになりました。
当時は一週間毎日、どこかの局で洋画劇場をやってましたね。
毎回番組の始まりと終わりに解説者が作品紹介のコーナーがあり、淀川長治氏とか水野晴朗氏とか荻昌弘氏とか、いまでは亡くなられた方々が映画の魅力を語ってくれていました。
映画館へ行くお金のないガキンチョにはたいへんありがたい番組でした。ただ、うちは厳しくて子供は夜9時までには寝なければならなかったので、なかなか見せてもらえず、土曜の夜の「土曜映画劇場」(たしかそんなタイトル)だとか、あとは夏休みなどの長い休みに集中して観て、ふだんの欲求不満をバクハツさせていました。
そのころ、70年代の映画状況といえば、海外ではアメリカン・ニューシネマが全盛を迎え、パニック映画の流行があり、SF映画も勃興して、といった頃じゃないでしょうか。
日本だったら寅さんとかトラック野郎などのプログラム・ピクチャーのころでしょうか。TVの出現で、邦画界が下り坂になっていくあたりですね。
子どもだった僕も刑事もののアクションとか派手なカーチェイスが出てくる犯罪ものが大好きでした。『ダーティ・ハリー』シリーズとか、ニューシネマの傑作、のちにタランティーノもリスペクトした『バニシング・ポイント』とか。
そして僕が中学生になるころ、あのスピルバーグ旋風が襲来します。
いやー、書いてるとキリないなー。今回はこのへんまでにしときましょう。