愛着ってなんだろう? (下書き)
近所のHARD OFFへ不要品を売りに行った。
スキャナーとCDラジカセの二点。
スキャナーはもう20年近く前に買ったもので現在まったく使用していない。
とくに故障はしてないが最近のOSで動かせるかどうかは不明。
CDラジカセは完全に壊れてて、こっちも10年以上前に買ったもの。
2011年の大震災のときに高いところから落下、CDプレーヤー部分のフタが壊れて閉まらなくなってしまった。
フタが閉まれば問題なく作動するので、ガムテープで貼ったり上に重いものを乗っけたりして、だましだまし使っていたが、
今年の始めごろ、とうとうプレーヤーそのものも作動しなくなってしまった。
どちらもすぐに処分してもかまわなかったのだが、いままでなんとなく放置してたのは、
自分がズボラなせいもあるが、やはり「愛着」みたいなものがあったのだろう。
もともと自分はなかなか物が捨てられない性格なのだが、
もう使わない、使えないと分かりきってる物ですら、なかなか処分できない、そんな自分に苛立ちを感じることもある。
なぜひと思いに捨てられないのだろう。
それは、そのものにまつわる思い出や愛着みたいなものが邪魔をしているからにちがいない。
そこでまた考える。愛着って、普通なら「いいこと」とされているが、はたして本当にいいことなのだろうか……?
愛着、それはエスカレートすれぱ「執着」になるのかもしれない。愛着は肯定的に受けとめられるが、執着となると敬遠されがちだ。
うーん、愛着を持つのははたしてそんなにいいことなのか。すぐには答えが見つからないが、このことについてはしばらく考え続けてみよう。
HARD OFFに出したスキャナーとCDラジカセはそれぞれ200円と100円の値がついた。
壊れて使えないものすらお金に換えてくれるHARD OFFなかなか太っ腹だ。
部屋が少しでも片づけばよかったので、金額はまあどうでもよかったのだけど。
手放すものへの愛着と、なくなったあとのスッキリした気分を比較すると、後者のほうが少し勝ってるような気がするな……。